Ferrari フェラーリ
Ferrari。フェラーリ。大戦後のミッレ・ミリアでは、勝利は常にフェラーリの手にあった。1947年から1957年まで連続して11回が行われた中で、フェラーリがそれを失ったのは1947年(アルファ・ロメオの優勝)、1954年(ランチア)、そして1955年(メルセデス・ベンツ)の3回にすぎず、残る8回はフェラーリのものであった。当時フェラーリの社屋はモデナにあり、ごくわずかな例外を除いて、ミッレ・ミリアのルートはその終盤にモデナの町を通過するのが普通であった。そしてエンツォ・フェラーリは、そのモデナで自分のチームの車とドライバーを待ち受けるのが習慣であったという。これはミッレ・ミリアのヒストリック・イベントが行われるようになってからも繰り返された。エミリア街道沿いのフェラーリの関連の工場にはチェックポイントが設けられ、晩年のエンツォ・フェラーリはそこで各車の通過を見守ったのである。以前フェラーリのドライバーであった者などが通りかかると、両者の間で短いが暖かな会話が交わされたものだと伝えられている。フェラーリは確かにミッレ・ミリアの覇者であったのだが、その最後の幕を引いた車もまたフェラーリであった。事故はグイディッツォーロの近くで起きた。
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