Guidizzolo 慰霊の碑
Guidizzolo。グイディッツォーロ。1957年のミッレ・ミリア。ロードレースとして行われたミッレ・ミリアの最後の年。フェラーリはイタリア人のピエロ・タルッフィ、イギリスのコリンズ、ドイツのフォン・トリップス、そしてスペインで候爵の肩書きを持つデ・ポルターゴの各ドライバーにワークスカーを委ねた。途中でコリンズがリタイア、終盤はタルッフィがリードし、フォン・トリップスが2位、デ・ポルターゴは4位でそれに続いた。そしてブレシアのフィニッシュまであと20数マイルまで近づいたグイディッツォーロという村からさほど遠くない路上で、デ・ポルターゴのフェラーリがクラッシュした。車は電信柱をなぎ倒した後に、道路脇の見物人の列へ飛び込んだ。ドライバーとナビゲーター、それに10人近い見物の人達がこの事故によって命を落とし、同時にミッレ・ミリアにも終止符を打つことになったのであった。現在その地には慰霊のための碑が立てられている。一方、この最後の年のミッレ・ミリアで、途中まで記録的なペースでリードしていたコリンズのフェラーリが、ゴールまで130マイルの地点まで来てリタイアしたことは、ミッレ・ミリアでいわれていた通説を裏書きするものであった。"ローマでリードしていたものは、勝てない"というのである。
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