Lancia ランチア
Lancia。ランチア。1948 年以来 6 年間もミッレ・ミリアの勝利を独占し続けたフェラーリに対して、 1954 年に初めてそれに一矢を報いたのが、ランチアであった。この時のドライバーはアルベルト・アスカーリ、本来参加の意志はなかったのを、友人のヴィロレージが直前の事故で出られなくなったので、その代役として走っての優勝であった。恐らくこの時が、ランチアのレーシング・ヒストリーの中で最も輝かしい瞬間であったろう。その年の秋に、ランチアは彼らの初めての GP マシーン、D50 をデビューさせる。 D50 は当時のライバルの中では最も進んだ考え方でまとめられていたが、その本来の実力を発揮するようになる以前に、ランチアが全てのレース活動からの撤退を決定した。 完成していた 8 台の D50 のうちの 6 台はフェラーリに譲り渡されることになり、1955 年 7 月 26 日にトランスポーターでトリノのランチアから運ばれて行った。ランチアの人々にとっては、耐え難い悲しみの日になったという。それでも彼らはまだ良い。ミッレ・ミリアに勝利を記録しているのだから。モデナのマセラティの方は、それを願いながらついに果たすことがなかったのである。
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