Raticosa 二つの峠
Raticosa。ラティコーザ。フィレンツェからボローニャへ抜ける間に、イタリア半島を背骨のように貫いているアペニン山脈を越えなければならない。現在はアウトストラーダが通じているが、昔のミッレ・ミリアはこの峠道を走り抜けたので、現代のイベントでも同じルートをたどっている。このアペニン山脈を抜ける間に、フータとラティコーザのふたつの峠がある。戦前のミッレ・ミリアではここをボローニャ側から南へ向けて走り、戦後はフィレンツェから北上するルートに変わった。 ジェンキンソンの記事によれば、1955 年のレースで、モスはこのフィレンツェとボローニャの区間で 1 時間を切ることを目標に走ったという。実際に要したのは 1 時間と 1 分であったが、それは区間新記録であった。現在でもこのふたつの峠を抜ける区間は、車と参加者たちにとって最も厳しく(ひとりのイギリス人はまるで果てしなく続くヒルクライム・コースのようだと語った)、それだけに最も楽しみの大きいセクションである。しかし、戦前、アルファがスクーデリア・フェラーリのチームで戦い始めた頃には、ここはまだ未舗装、崖下に転落するのを防ぐ石垣さえ、たいして設けられてはいなかったのだという。
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