Ugolini 名物マネージャー
Ugolini。ネッロ・ウゴリーニ。1950 年代のレースは現在よりもチーム同士の争い、メーカー同士の競争という色彩が強く、しかも GP レースでも 1チームで 4 ~ 5 台をエントリーするのが普通であったから、チーム・オーダーが重視された。従って、ドライバーの交替や車の割り振りを決定するチーム・マネージャーが大きな力を持った。そしていくつかのチームには、名物マネージャーの存在があった。アルファのグイドッティ、メルセデス・ベンツのアルフレッド・ノイバウアーなどがその例である。ネッロ・ウゴリーニは、戦前スクーデリア・フェラーリにいたことがある関係で、戦後はしばらくフェラーリのレーシング・チームの指揮をとった。そのウゴリーニが、1956 年の末を期に、マセラティへと移った。 チームの規模からいえば、はるかなスケールダウンである。1957 年はファンジオが GP レースでマセラティ 250F に乗ることになっており、彼はそのファンジオの技量を信じていたのである。惜しくも 1957 年のミッレ・ミリアでは、モスの乗るマセラティ 450S がスタート早々に壊れて、彼らの夢を果たすことはできなかったが、GP レースの方ではファンジオがマセラティにチャンピオンをもたらしてウゴリーニの選択が正しかったことを証明した。
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